1986年5月。
ニューヨーク支店のディーリング・ボードの外線のボタンが赤く点滅した。
ほんの僅かなタイム・ラグの後に、
「トゥルルル、トゥルルル・・・・・」とディーリング・ボードが鳴った。
「ハロー、マルワ・トラスト!」
「・・・・・もしもし、大竹です。
元気・・・・・?」
ワン・テンポのずれがあって、低いけれど聞きなれた声がした。
ワン・テンポのずれが東京からの国際電話だと知らせている。
「あーっ。 梅田です。
元気ですよ!
相場は元気ないけど・・・・・。」
「あっそう。
ところで梅田はハーバードに行くんだって?
すごいねえ。」
「えーっ? すごくないっすよー。
ニューヨークにいるのに英語がぜんぜんしゃべれないから行かされるんだから・・・・・。
でも、どうせ行くんだったら、ハーバードでしょう・・・・・。
サマー・スクールだけだとしても。
アメリカで一番なんだから。
それに、行くにしても、たったの2ヶ月だけですよ・・・・・。」
「いいよなあ。 会社が金払ってくれるんだから。
ちゃんと勉強しなくちゃだめだぞ!
ところで俺も仕事変わるんだよ。」
「えっ、大竹さん転勤するの?
今度は何やるの?」
「いや、部署は同じ年金運用部なんだ。
ただ、外債は担当じゃあなくなるから、為替は関係なくなるんだ。
今度は株と円債だよ。 国内の運用だよ。」
「いやぁ、運用成績のいい人は、いろいろとやらせてもらっていいですねえ。
ご栄転おめでとうございます。」
「部署は変わらないんだから、栄転ではないよ・・・・・。
いろいろやったよなあ、俺とおまえで。
俺もこの5月いっぱいまでだし、梅田は6月にはボストンに行っちゃうんだろう?
なあ、なんかやろうぜ・・・・・。
なんか記念になることをさぁ・・・・・。
・・・・・・・・!
そうだっ!
『介入』って、やってみようぜ!
俺たちいろいろやったけど、『介入』って、まだやってみたことないじゃない。
そうだよ・・・・・『介入』しようぜ!
今、ドル・円いくらだよ?」
「何ばかなこと言ってんだよ・・・・・。
ドル・円のレベルは180円ニーゴー・サンゴー(180.25―35)だけど、マーケットは静かだよ・・・・・。」
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「いや、やろう!」
「酔っ払ってんの?
東京はもう夜の11時かぁ・・・・・。」
「酔っ払ってはいないよ。
ちょっと飲んだけどね。
本気だよ。
やろうぜ!
青春のモニュメント!」
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「ちょっと待ってよ。
『介入』するって、いったい何本やるつもり?
100本や200本じゃあ、どうせ動かないよ。
ばかなこと言ってないで、もう寝たら。」
「いや、俺は本気だ!
今は、みんな円高だといってドルを売っているから、ドル買い介入をやろう!
梅田、ドル買えよ!」
「冗談はやめてよ!
この静かなマーケットで・・・・・。」
「本気だって言ってるだろ!
俺は客だぞ!
俺の言う通りにドルを買わないんだったら、500本プライス出せ!」
「そんなに大きいの出せないよぉ!
俺の持ち高はマックスで50本なんだから。」
「じゃあ、今から黙って500本買え!
待ってやるから・・・・・。
買い終わって、アベレージが出たら折り返しでいいよ。」 |
「ほんとに本気なんだね?」
「ああ、青春のモニュメント!
本気だぜ!」
「オーケー!
わかった!
じゃ、折り返す!」
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1985年から1986年頃の東京市場でのドル・円の外国為替取引は、多い時で1日約1000本程度だ。
ここで言う1本とは米ドルで100万ドルのことだ。
だから、この頃の東京外国為替市場の1日の出来高は通常なら7億ドルから10億ドル程度になる。
500本は5億ドルになる。ドル・円の為替レートを180円とすると、円貨で900億円だ。
ニューヨーク市場の午前中は、ロンドン市場の午後とオーバー・ラップしているから、東京市場がオープンしているアジアの時間帯よりも取引に厚みがある。
市場参加者の多い時間帯だから500本の取引はできるだろう。
それにしても500本は決して小さい金額ではない。とんでもなく大きな金額だ。
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