市場参加者は失業率が6.3%を予想していたのだが、発表された数字は6.5%であった。
予想していた数値よりも米国の失業率が高いということは、米国経済が良くないということだ。
それを材料にドルを売っているのだ。
発表の直後に124円25銭がギブン(Given)だった。
ブローカーが叫ぶ。
「ハチマル、ギブーン!」
123円80銭が売られた。
顧客のダイレクト・ラインがなり、それを取った荒井が叫んだ。
「ドル円50本!」
俺も大声で答える。
「ナナマル、ナナゴー!」
荒井がお客さんに大声で「ナナマル、ナナゴー」と復唱している。
「梅田さん! ナナマル!」
「オッケー!」
顧客が123円70銭でドルを50本売ってきた。
荒井は『ドル円50本』と言っただけだが、それでドル円の50本の値段を聞いていることになる。
俺は『70‐75』と答えた。 これは、『俺が、123円70銭でドルを50本買う、もしくは、123円75銭でドルを50本売る』と建値した意味だ。
荒井は『70』と言ったのだから、『俺が123円70銭でドルを50本買う』ことになる。
俺がドルを買うということは、顧客はドルを売るわけだ。
『1本』は『百万ドル』を意味する。
『50本』は『五千万ドル』だ。
五千万ドルと言っても、どうもピンとこない。
この場合を円貨で考えるならば、1ドルが123円70銭なのだから、
[ 50,000,000−x 123.70 =6,185,000,000− ]
61億8500万円になる。
もちろん、普段はいちいち円貨で計算したりしない。
いつもドルで何本と考えている。
10本や20本はそんなにあせらないが、50本を超えると大口だなと感じる。
たった二言か三言の会話で、大口の取引が成立してしまう。
冷静に考えると恐い。
電話で取引をしているのだから、時としては、言った言わないでトラブルになることもある。
決してわざとではなく、興奮して言い間違えたりすることもあるのだ。
あまり慣れていないディーラーやお客さんの場合に、大きな声で、
「ッター!」
と言っていることがある。
本人は『買った!』とか『売った!』とか言っているつもりなのだが、興奮して、焦っているものだから、かえって周りの人には何を言っているのかわからない。
訊き返しても、また大きな声で、
「ッター!」
と言うだけだ。
その間に、マーケットは動いてしまうから、このような場合は、大抵トラブルになる。
だから、ディーリング・ボードの電話は録音されていて、何かあったときは後からでも会話を確認できるようになっている。
俺は、お客さんから123円70銭でドルを50本買ったわけだ。これをどうにかしなければならない。
相場は動いている。
米国失業率が発表されてから、まだ数分しかたっていない。
ブローカーが
「ナナマル、ギブーン!」
と伝えてくる。
もう123円70銭がギブン(Given)だ。
123円80銭が出合っている時に、顧客がドルを売ってくるだろうと予測して、傾けて『70‐75』とクォート(建値)したのに・・・・・。
相場の動きが速い。
俺の隣で、アシスタント・ディーラーをしている牛山が叫んだ。
「梅田さん! ロクハチ、ナナサン、50本!」
俺は、
「ロクハチ!」
と大声で言っていた。
荒井が俺に『50本!』と聞いた瞬間に、牛山はロイター・ディーリング・システムでロンドンの銀行に50本 プライスを聞いていたのだ。
牛山が、
「ロクハチ、ダン!」
と答えた。
ロイター・ディーリング・システムはテレックスを便利にしたようなものだ。
スクリーンにキー・ボードがあって、スクリーンに会話が打ち出される。
このシステムを使って、海外の銀行とも直接に為替取引ができる。
『ロクハチ、ダン!』は、日本語と英語のチャンポンで、
“68,Done!”
ということだ。
68で、取引が成立したという意味になる。
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