俺は123円70銭でドルを50本買って、123円68銭でドルを50本売った。
顧客から高く買って、ロンドンの銀行に安く売っているのだから、俺は損をしている。
2銭の負けで、ドル50本だと、円貨で考えると百万円の損だ。
[(123.68−123.70)× 50,000,000 = -1,000,000 ]
この間、わずか数秒で百万円負けたことになる。
「ロクゴー・ギブーン!」
「ロクマル・ギブーン!」
ブローカーさん達の声が一際大きくなった。
「ゴマル買い! ゴマル買い! ゴマル買い!」
123円50銭はまとまったドル買いがある様子だ。
「ゴーゴー・買い来てすぐギブン! ゴマル買い! ゴマル買い!」
「ゴマル・ギブーン! なお買い! ギブーン! なお買い!」
ブローカーさん達の声は喧しい。
ふと思うのだが、子供の時に八百屋や魚屋の店先で聞いた、売り子の声を思い出す。
『さー、安いよ、安いよ、安いよー。
さー、ドルが安くなっちゃったよー。
ボヤボヤ見てるだけじゃ、ナンニモ始まらないよー。
さー、売りでも買いでも、どっちでもいいから、
さっさとなんか、やってくれーい!』
そんな風に言っているように聞こえる。
「おい、ウシ・・・・・。
みんな売ってるけど・・・・・。」
「・・・・・。 そぉですねぇ・・・・・。」
「この数字で・・・・・、 そんなに売りかぁ・・・・・?」
俺は牛山に話しかけた。
「・・・・・。 そぉですねぇ・・・・・。」
「失業率の数字の発表前が124円のミドルだから、もう1円近く落ちたよなぁ・・・・・。」
「・・・・・。 そぉですねぇ・・・・・。」
「お前、考えてないだろう。
返事に『気』が入ってないなぁ。」
「いや、そんなことないですよぉ。
ぼくが、梅田さんに意見を言うなんて、おこがましくて・・・・・。
・・・・・。 言えないですよぉ・・・・・。」
「そっかぁ・・・・・?
そういうもんじゃぁ、ないだろう・・・・・。
まぁ、いいや・・・・・。
うーん・・・・・。
なんだかよくわかんないけど、買ってみようか・・・・・。」
「はい。 ロンドンにつなぎますか?」
「うん。 とりあえず50本買ってみよう。」
「はい!」
ロイター・ディーリング・システムで、いつも取引をしているロンドンの銀行を呼んだ。
『YEN 50 PLS』
とロイターの画面に出ている。
これだけでドル・円の50本(五千万ドル)のプライスを聞いている事になる。
ディーラーの世界で、ロイター・ディーリング・システムを使う際は、
『YEN』と打てば『ドル・円』の意味になる。
『50』は『50 million Dollar(五千万ドル)』を意味する。
銀行間の取引では、通常は百万ドル単位で行なわれる。
『PLS』は“PLEASE”を省略したものだ。相手方の銀行に対して、丁寧に尋ねていることになる。
『YEN 50 PLS』
と打てば、
「ドル・円の、五千万ドルのプライスを頂けますか?」
といったニュアンスになる。
呼んでいたロンドンの銀行とロイター・ディーリング・システムの回線が繋がったとたんに、
「ゴマル・オール・ギブーン!」
(50 All given!)
と、ブローカーさんが叫んだ。
相手方の銀行が、ロイター・ディーリング・システムの画面に数字を打ち出した。
『40−45』
牛山がすばやく、
『I BUY』
と、打ち込んだ。
相手方の銀行の返事がすぐに来ない。
相手方が、一瞬、躊躇(チュウチョ)しているのが伝わってくる。
ロイター・ディーリング・システムでも、返事のタイミングや打ち方で相手方の様子がわかる。
「俺たちが、売ってくると、思ってたんだな。」
「そうみたいですね。」
少し間があって、相手のロンドンの銀行が取引のコンファーム(Confirm,取引の確認)を打ち込んできた。
『WE SOLD USD 50 MIO AGAINST YEN
AT 123.45+
THANK U VM+
BIBI++++』
『われわれは(相手方のロンドンの銀行は)、123円45銭で、
USドル50ミリオンを、対円で、売りました。
どうもありがとう。
バイバイ。』
と言う意味だ。
牛山が、
『ALL AGREED
THANK U VM+
BIBI NOW+++』
とロイター・ディーリング・システムに打ち込んだ。
『(相手方の打ち込んだ取引の確認に)総て同意します。
どうも、ありがとう。
バイバイ。』
と打ったのだ。
『U』は「YOU」の省略だし、『VM』は「VERY MUCH」の省略形だ。
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