「ゴマル・テイクーン!」
(50 Taken!)
ブローカーの声がまた一段と大きくなった。
「ゴマル買い! ゴマル買い! ゴマル買い!」
「ゴーゴー買い! ゴーゴー買い! ゴーゴー買い!」
「ロクマル・テイクーン!」
(60 Taken!)
ブローカーさんの口調は本当に八百屋か魚屋のようだ。
『ほーれ、ゴマル(123円50銭)の買いが出たぞ!
ゴマル買いだ!
どーすんだよ!
ほら!
売るのか?!
買うのか?!』
『ほれ、ゴーゴー(123円55銭)の買いだ!
ゴーゴー買いだぞ!』
『ほれ見ろ!
ぐずぐずしてるから、ロクマル(123円60銭)が買われちゃったじゃないか!
ほら、なんでもいいから、うだうだ言ってるヒマなんか無いぞ!
売りでも買いでも、どっちでもいいから、さっさとなんかやれよ!』
俺には、そんな風に聞こえる。
いい所で買ったかもしれない。
123円45銭で五千万ドル買って、今、123円60銭が出合っているのだから、15銭儲かっている。
日常の生活では15銭なんて全く影響のない金額だが、取引金額が大きいとこの15銭でも750万円の利益になる。
[(123.60−123.45)× 50,000,000 = +7,500,000 ]
さっきは、ほんの数秒で100万円の損だったが、今度はわずか1〜2分で750万円の利益だ。
『どうしようかなぁ・・・・・。 少し利益を確定しておこうか・・・・・。』
そう思って、ブローカーさんにオープン・ボイスで注文を出した。
「ロクマル売り、10本見て。」
「わかりました!」
123円60銭で1,000万ドルの売り指値を出した。
外国為替ディーリングは、通常「ボイス・ボックス(Voice Box)」を使って行われる。ディーラーのいるディーリング・ルームとブローカーのいるディーリング・ルームの双方にスピーカーが設置してある。
ディーラーの声はブローカー側に設置してあるスピーカーを通して、ブローカー全員に聞こえる。同じようにブローカーの声は、銀行のディーリング・ルームの全員に聞こえるようになっている。
これが、オープン・ボイスだ。
オープン・ボイスでの会話は、周りにいる人に筒抜けになるので、普通に話すために直通の電話回線を設けている。これはダイレクト・ライン(Direct Line)と呼ぶ。
緊急を要するときに、いちいち電話番号を押しているのは時間の無駄だ。
この回線は銀行とブローカー間で直結しているから、ディーリング・ボードのボタンを押せば、ダイヤルをしなくとも、直につながる。
「梅田さん! ロクマル、10本 ダンです!」
あっと言う間に1,000万ドルが売れた。
俺は続けて注文を出した。
「ロクゴー売り、10本!」
「ありがとうございます!!」
「ロクゴー売り! ロクゴー売り!」
注文を受けたブローカーさんが、よその銀行にプライスをクォート(Quote)しているのが聞こえてくる。
「ロクゴー、10本お願いします!!」
123円65銭も1,000万ドル売れた。
この勢いならもっと跳ね上がるかなぁ、と思いながらも、利食い(利益を確定させる売買)だから、まぁいいや、そう思ってさらに注文を出した。
「ナナマル売り10本、ナナゴー売り10本、ハチマル売り10本。
売り上がり10本ずつ合計30本見といて。」
全部売れたらスクエアー(持ち高ゼロ)になる。
『たいした相場じゃないな・・・・・。
多少、荒れてはいるけれど、突っ込んで売ったから、買い戻しているだけだな。』
そんなことを考えていると、ディーリング・ボードの外線やら、顧客のダイレクト回線のボタンが点滅している。
電話の呼び出し音がハウリングを起こしている。
「おーい! どうした! 電話が鳴りっ放しだぞ!」
普段は電話が鳴ると同時に、誰かしらがピック・アップするようにしている。
電話が仕事・商売なんだから当たり前だ。
新人には『電話とお友達になれ』って教える奴もいるくらいなのだ。
立ち上がって、ディーリング・ボード越しに、向かい側のカスタマー・ディーラー達を見た。
カスタマー・ディーラーは顧客を担当するディーラーだ。
『あれ? カスタマー・ディーラーが二人しかいない・・・・・。
どうしたんだぁ?』
「おい! ウシ! おまえ、電話取れ!」
俺が電話を取るわけにはいかない。
俺が顧客の電話を取って、俺自身が顧客にプライスをクォート(建値)して、なおかつ、俺自身でその取引のカバー・ディール(Cover Deal)をするのは、不可能ではないが、危ない。
ちょっとしたミスでも、とんでもない実損になることがある。
ニューヨークにいた頃、ディーリング・ルームに日本人は俺一人といった状況で、東京から電話があった。
東京のお客様からの電話で、大口のプライスをクォート(建値)した。
すぐに電話を切って、その取引のカバーに行きたかったのだが、そのお客様が、
「で、ニューヨークの状況はどう?」
と尋ねてきて、カバーできなくて、ずいぶんとやられた事がある。
お客様はこっちの状況を知らないで、電話を架けてくるのだから、決して悪気はない。
大口の取引をしたのだから、相場の状況を知りたいのは当然だろう。
東京の大切なお客様だし、せっかく取引をして頂いて、冷たくあしらう訳にもいかない。
俺以外は日本語が話せないのだから、電話を替わってもらうこともできない。
それに、日本語で取引をしているものだから、周りのアメリカ人のアシスタント・ディーラー達も、俺が大口の取引をしたことに気が付いていない。
結局、お客様との会話が終わるまで、カバー・ディールが出来なかった。
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