「ねえ、青山君。
売ればいいのかなぁ?
買えばいいのかなぁ?」
「『買い』じゃないですか?
みんな『ドル・ブル』ですよ。」
「『ドル・ブル』?」
「ドルが強い、ドル高円安になるって思う人が『ドル・ブル』。
ドルは弱い、ドル安円高と考える人は『ドル・ベア』。
『ブリッシュ』、『ベアリッシュ』っていう言い方もありますけどね。」
「ふーん・・・。
じゃあ、ドルを買えばいいのか・・・。
ドルを買う場合は『買った』って言えばいいの?」
「そうですよ。
英語でかっこよく言うなら『マイン( “Mine” )』ですね。」
「ドルを売るときは?」
「素直に『売った』って言えばいいんですよ。
英語なら『ユアーズ( “Yours” )』。」
「そうか・・・。
じゃあ、やってみようか・・・。
この電話のボタンを押せば、ブローカーさんが出てくるわけね?」
「はい。」
「すぐに、出てくれるかな?」
「そりゃすぐに出てくれますよ。商売ですから。」
「そう・・・。
いや・・・、あんまり早くっても、何て言えばいいのか・・・。
買うんだったら、『買った』って言えばいいんだよね・・・。」
「ブローカーさんはベテランですから、大丈夫ですよ。むこうは慣れてますから。
電話に出ると、すぐプライスを言ってくれますから、それに対して、『買った』って言えばいいんですよ。」
「うん。」
「ブローカーさんは、電話にでると、まずプライスを言います。
別の用事だったら、その後でも、話はできるでしょ?
この電話は、為替相場をやっているわけですから、まずプライスを伝えるわけです。」
「ふーん・・・。」
「それから、ブローカーさんが電話に出るとき、『もしもし』と言わないで、『もし!』って言いますからね。」
「・・・??」
「『もしもし』って二回言わないで、『もし』が一回だけなんです。
時間を節約するための慣行だそうです。」
「へー・・・。
そうなんだ・・・。
うん、じゃあ、やってみようか。」
「受話器はこれを使って下さい。」
そう言って、青山君が、ディーリング・ボードの左右に2個ついている受話器のうち、右側の受話器をくれた。
受話器の握るところにスイッチが付いている。
「このスイッチは何?」
「そのスイッチをクリックすると、向うの声は聞こえるんですけど、こちらの声が向うに行かなくなります。
両手で、両方の受話器を持って、いっぺんに二人の相手と同時に話すときに、スイッチを入れたり、切ったりして、それぞれと話すんです。」
「へー・・・!」
感心してしまう。いろんな機能が付いてるんだ。
「それから、お客さんと話をしている最中に、急に相場が動くときもありますよね。そんなときに、クリックすれば、ディーラー同士で、『何があったの?!』とか『プライス!』とか、大声で訊けるじゃないですか。
クリックすれば、こちらの声はお客さんに聞こえないわけですから。」
「なるほどね・・・。
じゃあ、この受話器を借りるよ。
どのボタンを押せばいいの?」
「一番左の一番上の一列が『スポット』のラインです。
どれを押してもいいんですけど・・・。」
「じゃあ、この一番左のボタンにするよ。」
「はい。それは『トウフォレ』ですね。」
「『トウフォレ』?」
「『東京フォレックス』というブローカーさんの会社名です。」
「あっそう・・・。」
青山くんのデスクについている受話器を左手に持って、『TFS』と書いてあるボタンを押した。
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すぐに元気のいい声がした。
「もし! ニーゴー・サンゴー!」
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本当に、『もし!』って出てくる。
青山君の言っていたのは、これのことだな、と思いながら、緊張した声で、
「イッポン、買った!」
と言った。
「はい!
サンゴー、1本 ダンです!
ありがとうございます。 |
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オンコー(御行)、買いました、ユー・エス・ドル1本、241円サンゴーです。」
ものすごく早口だ。
「・・・・・・。
はい。ありがとうございます・・・。
あの、・・・。」
言いかけたら、切れてしまった。
「あれっ、切れちゃった。」
青山君が答えた。
「ああ、いいですよ。
ボクがあとで、コンファームしておきますから。」
そう言いながら、青山君が、電話を切るボタン(クリア・ボタン)を押してくれた。
ここの電話は普通の電話機のように、受話器を置くところがない。
普通の電話機は、受話器を置くところに戻すと自動的に電話が切れるのだが、受話器を戻すべきところがないから、電話を切るためのボタンを押さないと電話を切れないのだ。
受話器は机の上に二個ずつころがっている。
「『コンファーム』?」
「ええ。取引の確認のことです。
外国為替取引は金額が大きいですから、何回も取引の確認をするんです。
1本違ったって、2億4000万円ですからねぇ。」
「梅田さんの買ったレートはいくらですか?」
「・・・・・・。
あれっ?
いくらだっけ?」
「いや・・・・・・。
コンファームすれば、すぐにわかりますから大丈夫ですけど・・・。
ボクが電話に出てたんじゃないですから・・・・・・。
梅田さんの聞いたプライスはいくらだったんですか?」
「そういえば・・・、ニーゴー・サンゴーって言ってた。」
「じゃあ、サンゴーですよ。
梅田さんは、『1本買った』って言ってましたから。
えっと、じゃあ、241円35銭で、1本買いました、梅田さんのポジション、っと」
青山君が、机の上の紙に書いている。
「梅田さん、この伝票に記入してください。」
そう言って、青い複写の伝票をくれた。
「ここに、金額と、レート、どこのブローカー経由でやったのかを書いてください。」
「オッケー。」
「おっ、英語ですね。
だいぶ慣れてきたんじゃないですか?」
「いや・・・。そんなことはないけどぉ・・・。」
とりあえず、ドルを1本買ってみた。
さしたる理由があったわけではない。
青山君に聞いてみたら、みんながドル買いだって言っていると答えたからだ。
多い方が勝つんじゃないかな?
だって、多数決なんじゃないの・・・?
相場って?
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