242円30銭が『寄付き』だった。
ニーゴー・サンゴーでしばらくにらみ合って、出会わない。取引に結びつかない。
平井さんは、ぼんやりとロイター・モニターを眺めている。 |
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ロイター・モニターは、為替レートを時々刻々と表示しているディスプレイだ。
この頃は、ディーラー二人に1台の割合で、ディーラーとディーラーの間に1台ずつ置いてある。
この当時のロイター・モニターはレートや情報を表示するだけで、通信機能(チャット機能)はまだ開発されていない。
表示もまだカラーではなく、緑色の文字だけだ。
相場が活況の時は、ロイター・モニターの表示が次々と変化するのだが、今はプライスがにらみ合っているままなので、ドル円の表示は、242円25−35のままで動かない。
内村さんは、イチマル(242.10)くらいはあるだろうと言っていたけど、あるのかなぁ・・・・・。
でも、イチマルが『売り』になったら、『買った』って言えば良いことはわかる。だけど、イチマルで買うにはどう言えばいいんだろう・・・・・?
「青山君、イチマルで買いたいときは、何て言えばいいの?」
「普通にイチマルの『買い』を見てくださいって、言えばいいんですよ。
これも専門用語で言うなら、『イチマル・ビッド』とか、『イチマルのビッドを見て下さい』って言うんです。
『アマウント』もちゃんと言った方が良いですよ。」
「『アマウント』って、『何本』ってこと?」
「そうです。金額のことです。」
「そぉか・・・。
じゃあ、イチマルで1本買いたいんだったら、『イチマルの買いを、1本見て下さい』って言えばいいんだね。」
「そうです。」
「今日は、あまり電話がかかってこないね?」
「みんな、ためらっているんじゃないですか?
昨日よりもずいぶんドル高円安ですから。」
「そうなのか・・・。」
そう話していたら、ディーリング・ボードのライトが急に点滅した。
「もし!」
青山君が、電話の音がする前に、機敏にボタンを押した。
青山君の取らなかった、別のボタンは、そのまま点滅して、電話の呼び出し音が鳴った。一度にすべてのスポットのボタンが点滅している。
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俺もあわてて、さっき話をした内村さんのボタンを押した。
「もし!ニーゴー・ギブン!」
「はい!ありがとうございます!」
俺も、青山君のまねをして、みんなに聞こえるように、
「ニーゴー・ギブン!」
と大声で叫んでいた。
この部屋の人達が、俺に注目したのがわかった。
『あれっ・・・。こうすればいいんじゃないの・・・?』
聞きなれない声だからなのだろう。わざわざ、立ち上がってこっちを見ている人もいる・・・。
青山君が、みんなに聞こえるように、もう一度、
「ニーゴー・ギブン!」
そう言ってから、声を落として早口に、俺に言った。
「ありがとうございます! 梅田さん! それでいいんですよ!」
ボードの点滅が激しいままだ。
青山君が、ボタンを押しながら、また叫んだ。
「ニマル・ギブン! ニマル売り!」
「イチマル・ニマル!」
俺はあわてて、また、内村さんのボタンを押した。
内村さんはイチマルで買えって言っていた。
まずは、内村さんを信用して買ってみようと思ったのだ。
「もし! ニマル売り、買いなし!」
内村さんの声も、ふざけていない。張り詰めた雰囲気が伝わってくる。
「イチマルの『買い』を、1本見て下さい!」
こう言えば良い筈だ。しっかりと喋らなくてはいけない。間違えたら大変だ。自分の声がいつもより低くなっているのがわかる。押し殺しながらも、声そのものは大きい。
「イチマルの『買い』1本、お預かりします!
ありがとうございます!」
内村さんの声が弾んだ。
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