また、『仲値』が決まると、取引は急に静かになった。
ディーリング・ルーム全体の雰囲気も緊張感が和らいでくる。
「『仲値』が決まると、ちょっと一息なんだよ。
別な言い方をすれば、朝の『寄付き』から『仲値』までがひと勝負、ってことになるかな。
だいたい、このくらいの時間から、11時半頃までは静かなんだ。
11時半頃からは『前場』の締めで、インターバンク・ディーラーが『持ち高』調整をするから、また『出会い』が多くなるんだ。
今のうちに、ちょっと、席を外すからな。」
そう言って、平井さんが立ち上がった。
「お金を下ろしてくる。すぐ戻るから。」
「はい。」
青山君が答えた。
これで、昨日と同じ20万円の利益だ。
20万円では、平井さんに褒めてもらえなかった。
もう少し勝てばいいのかなぁ・・・?
そんなことを考えていたら、後ろから、怒鳴り声があった。
「ドル円5本!」
俺はびっくりして、中腰に立ち上がって声のあった方向を振り向いた。
俺の顔を見つめている。
えっ、?!
俺に聞いてるの?!
あれっ?!
そう思って、今度は、左にいる青山君の顔を見た。 |
すると、青山君は、座ったまま俺の目をじっと、見つめ返しながら、右手を揚げて人差し指だけは、プライスを求めたカスタマー・ディーラーを指差した。
そして、
「ニーゴー・サンゴー!」
と大きな声で怒鳴り返した。
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すぐにまた、後ろから、さっきの怒鳴り声がした。
「サンゴー!」
また、後ろを振り向いて、その人を見ると、もうこっちを見ていない。
左の耳に受話器を当てて、ディーリング・ボードに向かっている。
誰かと話しているようだ。
最後に、
「はい。『ダン』です。」
と言って、電話を切った。
それから、こっちを向いて、俺の顔をまた見た。
「じゃあ、サンゴーで5本ドル買ったよ。石油会社。」
どうも、俺に言っているらしい。
さっき、青山君が『ニーゴー・サンゴー』と答えたのだから、確かに『スポット・セクション』は、『カスタマー・セクション』に、サンゴーで5本売っていることになる。
カスタマー・ディーラーは『ドル円5本!』と言っただけなのが、それだけでドル円5本(五百万ドル)の値段(プライス)を聞いていることになる。
青山君は『25‐35』と答えた。
これは、『スポット・ディーラーが、242円25銭でドルを5本買う、もしくは、242円35銭でドルを5本売る』と建値した意味だ。
このように、『買値(ビッド)』と『売値(オファー)』の両方を、いっぺんに同時に建値するやり方を『ツー・ウェイ・プライス・クォーテーション(Two
Way Price Quotation)』という。
ドルを、売るのか、買うのかは、プライスを尋ねた方が決めることだ。
プライスを訊いた人が、ドルを買いたいのなら、「マイン(Mine)」と言えばい良い。
あるいは、この場合、カスタマー・ディーラーが『サンゴー』と言ったように、スポット・ディーラーが建値をしたオファー・レート(Offer Rate)を言えば、ドルを買ったことになる。
当然、建値をしたスポット・ディーラーは、ドルを売ることになる。
逆に、プライスを訊いた人が、ドルを売りたいのなら、「ユアーズ(Yours)」と言う。
レート(数字)で、ドル売りの意思表示をするのなら、プライス・クォーテーションのビッド・レート(Bid Rate)を言えば良い。
このケースならば、『ニーゴー』と言えば、プライスを尋ねた人のドル売りになる。
建値をしたスポット・ディーラーは、ドルを買うことになる。
プライスを尋ねたのだが、『売り』も、『買い』もしないで、そのプライスをパスする時は、「ナッシング(Nothing)」と答える。
スポット・ディーラーが、『25−35』と『ツー・ウェイ・クォーテーション』をして、カスタマー・ディーラーは『35』と言ったのだから、『スポット・ディーラーは、242円35銭でドルを5本売った』ことになる。
スポット・ディーラーがドルを売るということは、カスタマー・ディーラー(最終的には、顧客)がドルを買うわけだ。
『1本』は『百万ドル』のことだ。
だから、『5本』は『五百万ドル』になる。
とりあえず、早く答えなくちゃ、そう思って、
「はい!ダンです!」
とあわてて返事をした。
青山君に、質問をしようと思って、左を向くと、青山君の方が先に俺に訊いた。
「梅田さん、どうしますか?」
えっ!!
俺が訊きたいんだけど・・・?!
「『カバー』を取るのなら、すぐ取っちゃいますけど・・・?」
俺は、きょとんとして
「『カバー』?」
と訊き返した。
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